2008年5月22日木曜日
つだめ、どぅーだめ。
「つだめ、どぅーだめ。」
隣近所のおばあが教えてくれた言葉。
沖縄の方言で、「人の為は、自分の為。」
と言う意味だそうです。
「誰にでも親切にしなさい。人の為に何でもしなさい。
巡り巡って、全部いつか自分に帰ってくるからね。」
と、おばあはおすそ分けのピーマンが入ったビニール袋を片手に
玄関先で力説していた。
まさしく沖縄の人の心だなあ、、と、改めて思った。
この心に支えられ、助けられて、
今日も、うーと海くんは元気に生きているのです。
感謝!!!!
2008年5月20日火曜日
そして出産!!
5/6、GW最後の陽が落ちる頃、うーは一人暴れていた。
不運にも、その日担当だった、若く美人の助産師さんには、感謝してもしきれない。
看護士さんもそうだけど、彼等はなんであんなに素晴らしいんだ!!有り得ない!!
うーには絶対無理な職業だと、いつも思う。本当、頭が下がります。
さて、その彼女に、どうにもならない悲痛な叫びを浴びせ、腕を掴み、
騒ぎまくっていた私ですが、、やはりプロは違う。
陣痛の間、もう出せるものは何もないのに吐き続けていた私に
「お産が進んでる証拠ですよ。」と救いの言葉をかけてくれ、
「痛い、痛い」と暴れる私の腰や足の付け根を押して擦ってくれ、
しかも夜だから、ずっと彼女一人で対応。
それなのに私ったら、こうしましょう、ああしましょうと言ってくれる彼女に
「無理ぃ!!」と言い、しかも終盤に差し掛かると、まだだって言ってるのに、
「早く(分娩台に)行きたい!!」とわがままを言い、
分娩台の準備してくるから待っててと言われても、「無理ぃ!!」。
仕舞いには、「ウ○コしたいー!!」(←イキみたいー!!の間違い。)を連呼。
はあー、情けない、、。でもね、本人、必死なの。
そして、そこに理性はないの。だから許してー!!!!(涙)
そんなこんなで、ようやく分娩台へ。
ここで助産婦さんと先生が新たに登場。ちょっと安心。
だって、最後まで彼女一人じゃ、あまりにも酷じゃない??
で、ようやくイキむ事が許され、言われるがままに訳もわからず
踏ん張ったり呼吸したり、 もうとにかく「早く出しちゃいたいー!!」って感じ。
そして、入口が狭いらしく、なかなか出てこないのを、先生が手伝ってくれて、
ようやくドゥルリンと暴れながら出て来た我が子。(拍手!!)
偉い!!よく頑張った!!
陣痛の間も、ずっとお腹の中で大暴れしていた、2500㌘の元気な男の子!!
分娩台に行く前が壮絶だっただけに、分娩台での事はあっと言う間に感じた私。
気付くと、またあの彼女が一人で片付けをしている。
産後のボケた頭で、この人すごいなあーと、関心してしまった。
出産ですごいのは、もはや妊婦ではなく、
助産師さんなんじゃないか、とさえ思った。
(一番えらいのは、もちろん赤ちゃんだけどねー。←親ばか)
そして産後、片付けをしている彼女への私の第一声が、「胎盤欲しいんですけど。」
だったのも、本当どこまでわがままなんだか。(汗)
嫌な顔ひとつせず、そのままいろいろしてくれた彼女。
きっと、うーは一生忘れないだろう。
下手したら、息子に「この人が産んだのよ。」くらい言ってしまいそうだ。
何から何まで想定外だった、この出産。
この後も、ひどい腹痛に「後陣痛なんて聞いてない!!」などもありつつ、
でもまあ、とにかく今は、我が子を腕に抱いていられれば、
ただ、それだけで幸せなのでした。
病院に連れて行ってくれた後も、ずっと気にかけて行き来したり、
ポカリやチョコを買ってきてくれたりしてくれた職場のオーナーと、妹さん親子。
そして、わざわざ駆け付けてくれて、涙してくれた友人、菊ちゃん。
何よりも素晴らしい病院のスタッフのみなさんに、本当に本当に感謝です!!
そして、我が息子に、、HAPPY BIRTHDAY!!!!
あなたがいてくれるだけで、全てがHAPPYに見える不思議。
しばらくは凹んだお腹が寂しいなあ、、と思わずにはいられないだろう。
不運にも、その日担当だった、若く美人の助産師さんには、感謝してもしきれない。
看護士さんもそうだけど、彼等はなんであんなに素晴らしいんだ!!有り得ない!!
うーには絶対無理な職業だと、いつも思う。本当、頭が下がります。
さて、その彼女に、どうにもならない悲痛な叫びを浴びせ、腕を掴み、
騒ぎまくっていた私ですが、、やはりプロは違う。
陣痛の間、もう出せるものは何もないのに吐き続けていた私に
「お産が進んでる証拠ですよ。」と救いの言葉をかけてくれ、
「痛い、痛い」と暴れる私の腰や足の付け根を押して擦ってくれ、
しかも夜だから、ずっと彼女一人で対応。
それなのに私ったら、こうしましょう、ああしましょうと言ってくれる彼女に
「無理ぃ!!」と言い、しかも終盤に差し掛かると、まだだって言ってるのに、
「早く(分娩台に)行きたい!!」とわがままを言い、
分娩台の準備してくるから待っててと言われても、「無理ぃ!!」。
仕舞いには、「ウ○コしたいー!!」(←イキみたいー!!の間違い。)を連呼。
はあー、情けない、、。でもね、本人、必死なの。
そして、そこに理性はないの。だから許してー!!!!(涙)
そんなこんなで、ようやく分娩台へ。
ここで助産婦さんと先生が新たに登場。ちょっと安心。
だって、最後まで彼女一人じゃ、あまりにも酷じゃない??
で、ようやくイキむ事が許され、言われるがままに訳もわからず
踏ん張ったり呼吸したり、 もうとにかく「早く出しちゃいたいー!!」って感じ。
そして、入口が狭いらしく、なかなか出てこないのを、先生が手伝ってくれて、
ようやくドゥルリンと暴れながら出て来た我が子。(拍手!!)
偉い!!よく頑張った!!
陣痛の間も、ずっとお腹の中で大暴れしていた、2500㌘の元気な男の子!!
分娩台に行く前が壮絶だっただけに、分娩台での事はあっと言う間に感じた私。
気付くと、またあの彼女が一人で片付けをしている。
産後のボケた頭で、この人すごいなあーと、関心してしまった。
出産ですごいのは、もはや妊婦ではなく、
助産師さんなんじゃないか、とさえ思った。
(一番えらいのは、もちろん赤ちゃんだけどねー。←親ばか)
そして産後、片付けをしている彼女への私の第一声が、「胎盤欲しいんですけど。」
だったのも、本当どこまでわがままなんだか。(汗)
嫌な顔ひとつせず、そのままいろいろしてくれた彼女。
きっと、うーは一生忘れないだろう。
下手したら、息子に「この人が産んだのよ。」くらい言ってしまいそうだ。
何から何まで想定外だった、この出産。
この後も、ひどい腹痛に「後陣痛なんて聞いてない!!」などもありつつ、
でもまあ、とにかく今は、我が子を腕に抱いていられれば、
ただ、それだけで幸せなのでした。
病院に連れて行ってくれた後も、ずっと気にかけて行き来したり、
ポカリやチョコを買ってきてくれたりしてくれた職場のオーナーと、妹さん親子。
そして、わざわざ駆け付けてくれて、涙してくれた友人、菊ちゃん。
何よりも素晴らしい病院のスタッフのみなさんに、本当に本当に感謝です!!
そして、我が息子に、、HAPPY BIRTHDAY!!!!
あなたがいてくれるだけで、全てがHAPPYに見える不思議。
しばらくは凹んだお腹が寂しいなあ、、と思わずにはいられないだろう。
陣痛が来た日。
妊婦生活最後のイベント「自然体」も終わり、
翌日は、那覇ハーリー最終日の、5/5、子供の日。
朝から緩やかな波のある腹痛が続く。
昨日の疲れもあるし、ちょっとお腹下し気味だったのもあり
ただの腹痛と高をくくって午前を過ごす。
しかし、妙だ、、やけに治らない。やけに波が早い。
もしや、、??と思い、病院に連絡。
「もしかしたら陣痛の始まりかもしれませんから、
あまりひどいようなら来て下さい。」との事。
慌てて職場に連絡を入れて、お休みにしてもらい、
痛みを我慢して、慌てて部屋を片付けはじめる。
まだお印もないのにぃー!!と、半信半疑ながら、
やはり心配で友人や母親に電話して聞きまくると、 母いわく
「そんなの私もなかったわよ。 陣痛だって何分置きとか、
本に書いてあるのなんか全然あてにならないんだから。」え??
「じゃ、破水とかも??」 「そんなの産む瞬間までなかったわよー。」
、、。(汗)
し、知らなかった。うー、危うく惑わされるとこだった。
しかも、母も私同様、長女出産の時は、陣痛が始まった時、
たまたまその日、生まれて初めて食べたキムチが合わなくて
お腹が痛くなったもんだと勘違いしていたらしい。
この親子って一体、、。
結局、職場のオーナーが心配して迎えに来てくれて、
とりあえず一度病院へ。
しかし、陣痛は6分置きだけど、痛みも浅いし、 子宮の入口も柔らかいけど
まだ開いてないから、、 と、家に戻される。
しょうがないので、まだ間に合う!!と思い、
痛みを堪えて再び部屋を片付け、運べる物を運び出し、
急遽オーナー宅へお引越し。
元々、来週引越す予定だったので、やり残しがたくさん!!
きゃー!!どーしよー!!とか言いながら、陣痛の時間を計る。
これが良いペースで常に6分間隔をキープ。
縮まりもしなければ、開きもしない。
とりあえず、パワーつけなきゃ!!と、 オーナーに定食をご馳走してもらい
もう一度赤ちゃんグッズの確認などをしてスタンバイOK。
痛みが4分間隔になってきた頃、どうしても心配で、また再び病院へ。
先生に「まだまだー。」と言われつつも、
一人もんの妊婦と言う事もあり、そのまま入院。
痛みの間隔が早過ぎて、これじゃ寝れないでしょ??と、
痛み止めの筋肉注射を打ってもらうことになるのだが、これが誤算。
注射が合わず、目眩と嘔吐の嵐がやってきて、
余計寝れなくなったうえに、急激に体力消耗。
だんだん、何が痛いのかさえ分からなくなってきて、ぐったり。
そして、それを境に、陣痛の間隔もばらつき始め、
翌日の昼間はずっと、来たり来なかったり、
大波だったり小波だったりの、ぐだぐだ陣痛。
しかし、やはりそれは確実に近付いて来ていて、だんだん痛みは増してくる。
相変わらず吐き気も止まらず、ご飯も食べれずで、
よけい体力もなくなってきた夕方頃。
声、出しても出さなくても、結局同じ痛みなら、もう出してしまえ!!
と、騒ぎ始める。(笑)
まるで外国の映画の如く、痛みに耐えるべく(??)叫びまくる。
病院中に響き渡っただろうなあ、、。 きっとうるさかったであろう。
病院のみなさん、本当ごめんなさい。
さて、本格的な陣痛の痛み。
これを一言で言えと言われたら、私は間違いなくこう答える。
「いっそのこと殺してくれ!!」
普段、どんな痛みであろうと、「死にたい!!」とまでは思わないのだが、
もはや「死にたい!!」を通り越し、「殺してくれ!!」と言うのが
正しいように思う、そんな痛み。
いつか終わるとわかっていても、赤ちゃんのため、とわかっていても、
そんな理性はまったく役に立たず。
「明けない夜はない。」などの名言も、やはりまったくの無意味。
とにかく、出産時には側にピストルを置いてはいけない、とだけ言える。
陣痛、それは地球最強の拷問だ。
「生命の神秘」なんて綺麗ごとは、私は口が裂けても言えないだろう。
女は偉い!!と、信じ続けて妊婦してきたけど、
思わず撤回したくなった瞬間でした。
つづく、、
翌日は、那覇ハーリー最終日の、5/5、子供の日。
朝から緩やかな波のある腹痛が続く。
昨日の疲れもあるし、ちょっとお腹下し気味だったのもあり
ただの腹痛と高をくくって午前を過ごす。
しかし、妙だ、、やけに治らない。やけに波が早い。
もしや、、??と思い、病院に連絡。
「もしかしたら陣痛の始まりかもしれませんから、
あまりひどいようなら来て下さい。」との事。
慌てて職場に連絡を入れて、お休みにしてもらい、
痛みを我慢して、慌てて部屋を片付けはじめる。
まだお印もないのにぃー!!と、半信半疑ながら、
やはり心配で友人や母親に電話して聞きまくると、 母いわく
「そんなの私もなかったわよ。 陣痛だって何分置きとか、
本に書いてあるのなんか全然あてにならないんだから。」え??
「じゃ、破水とかも??」 「そんなの産む瞬間までなかったわよー。」
、、。(汗)
し、知らなかった。うー、危うく惑わされるとこだった。
しかも、母も私同様、長女出産の時は、陣痛が始まった時、
たまたまその日、生まれて初めて食べたキムチが合わなくて
お腹が痛くなったもんだと勘違いしていたらしい。
この親子って一体、、。
結局、職場のオーナーが心配して迎えに来てくれて、
とりあえず一度病院へ。
しかし、陣痛は6分置きだけど、痛みも浅いし、 子宮の入口も柔らかいけど
まだ開いてないから、、 と、家に戻される。
しょうがないので、まだ間に合う!!と思い、
痛みを堪えて再び部屋を片付け、運べる物を運び出し、
急遽オーナー宅へお引越し。
元々、来週引越す予定だったので、やり残しがたくさん!!
きゃー!!どーしよー!!とか言いながら、陣痛の時間を計る。
これが良いペースで常に6分間隔をキープ。
縮まりもしなければ、開きもしない。
とりあえず、パワーつけなきゃ!!と、 オーナーに定食をご馳走してもらい
もう一度赤ちゃんグッズの確認などをしてスタンバイOK。
痛みが4分間隔になってきた頃、どうしても心配で、また再び病院へ。
先生に「まだまだー。」と言われつつも、
一人もんの妊婦と言う事もあり、そのまま入院。
痛みの間隔が早過ぎて、これじゃ寝れないでしょ??と、
痛み止めの筋肉注射を打ってもらうことになるのだが、これが誤算。
注射が合わず、目眩と嘔吐の嵐がやってきて、
余計寝れなくなったうえに、急激に体力消耗。
だんだん、何が痛いのかさえ分からなくなってきて、ぐったり。
そして、それを境に、陣痛の間隔もばらつき始め、
翌日の昼間はずっと、来たり来なかったり、
大波だったり小波だったりの、ぐだぐだ陣痛。
しかし、やはりそれは確実に近付いて来ていて、だんだん痛みは増してくる。
相変わらず吐き気も止まらず、ご飯も食べれずで、
よけい体力もなくなってきた夕方頃。
声、出しても出さなくても、結局同じ痛みなら、もう出してしまえ!!
と、騒ぎ始める。(笑)
まるで外国の映画の如く、痛みに耐えるべく(??)叫びまくる。
病院中に響き渡っただろうなあ、、。 きっとうるさかったであろう。
病院のみなさん、本当ごめんなさい。
さて、本格的な陣痛の痛み。
これを一言で言えと言われたら、私は間違いなくこう答える。
「いっそのこと殺してくれ!!」
普段、どんな痛みであろうと、「死にたい!!」とまでは思わないのだが、
もはや「死にたい!!」を通り越し、「殺してくれ!!」と言うのが
正しいように思う、そんな痛み。
いつか終わるとわかっていても、赤ちゃんのため、とわかっていても、
そんな理性はまったく役に立たず。
「明けない夜はない。」などの名言も、やはりまったくの無意味。
とにかく、出産時には側にピストルを置いてはいけない、とだけ言える。
陣痛、それは地球最強の拷問だ。
「生命の神秘」なんて綺麗ごとは、私は口が裂けても言えないだろう。
女は偉い!!と、信じ続けて妊婦してきたけど、
思わず撤回したくなった瞬間でした。
つづく、、
海音介-kainosuke-
2008年5月3日土曜日
臨月
いよいよ臨月。
明後日は、新月。
赤ちゃんは、今日も元気に動いている。
いいかげん重たすぎる出っ張ったお腹と、
それに比例して、膨らんでくる心配事。
産後、しばらくは職場のオーナーの好意で
オーナー宅に居させてもらえることにはなったものの、
産後のめどがまったく立たない。
ベビーグッズは、なんとか貰い物でまかなうとして、
でも、しばらく働くことも出来ないわけで、
相変わらず、経済面での心配は尽きない。
考えれば考えるほど、不安になってしまう。
考えてもどうにもならないんだけどね。
もともとノーテンキなので、追い詰められないと
不安にならないのか、、今更、いろいろ心配になってきて
ストレスのせいか、最近、よく眠れない。
本当、良くないなあ、、。
生まれてくる前から、この子には
迷惑ばかりかけてしまっている気がする。
胎教に良い事も、大してしてあげれていないし、、。
本当、ごめんね。
まずは、とにかく第一の関門、陣痛、出産に向けて
気合い入れなきゃだー。
がんばります!!!!
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