2008年2月29日金曜日

うるう日

時々、なんで自分はここにいるんだろう??って
ふと思ってしまう時がある。

なんで、ここで一人で生活しているんだろう??
なんで、私のお腹は大きいんだろう??
何をそんなに根詰めてるんだろう??

そして、そんな時はゆとりがなくなってしまい、
いつも通り働いて、いつも通り友達に会っても、
なんだかやたらに疲れてしまって、体もつらくて、
悔しくて、帰りの夜道をひとり、涙したりする。

そんななか、今日は、四年に一度の「うるう日」。
わけもなくスペシャルな気になってしまうけど、
なんら変わらない一日には違いなくて、
それでも、大好きな友達と話しただけで、
やっぱりスペシャルな気になってしまう。

たわいもない友人との会話は、
心細い時には、いいものだ。
下らなくったって、何話したか忘れちゃったって、
やっぱり、少し元気になる。

それが「うるう日」であれば、やはり
わけもなく、スペシャルに元気になるような気になって
その為だけに、うるう日があったとしても、
きっと私は納得してしまうんだろう。

2008年2月27日水曜日

水平線


久しぶりに水平線を見た。
糸満んちゅの呉我くんが、気分転換にドライブしてくれて
喜屋武岬に行ってきたのだ。

いやー、やっぱり水平線はいい!!
ものすごく落ち着きました。

実は、子供が生まれてしばらくは大変だからって事で、
職場のオーナーが家においでって言ってくれていて、
そのオーナーのお家が、やはり南部。
海と緑と青空!!!!

やっぱ、田舎が良いです。
子供と、、と、なると、ますます田舎が良いです。

久しぶりの広い緑、海の青、雲間に見える陽射し、
打ち付ける波、サトウキビ、馬や牛、そしてこじんまりとした町並み。
これです。うーの住みたい沖縄は。☆

と、言うわけで、お言葉に甘えて、田舎につられて、
たぶん、うー、出産後は南部に行きますっ!!
待ってろよっ!!水平線っ!!

2008年2月25日月曜日

タイガーとカマクラ号


ハワイの古代式伝統カヌー「ホクレア号」は、去年日本にも来た事で有名ですよね。
そのホクレア号の初代クルーであり、ハワイの伝説的サーファーでもあり、
ハワイの古代式伝統カヌーのビルダーでもあった、タイガー・エスペリについて。

タイガーは、1996年から日本にも滞在し、鎌倉でハワイ文化を教え、
「古代日本人とネイティブハワイアンとの先祖伝来の結びつき」を証明しようと
日本ハワイアンカヌー協会 (The Japan Hawaiian Canoe Association(JHCA))を
設立し、2つの文化を再び結びつけるために、航海カヌーを建造 しようと
計画していました。

「航海カヌーは前向きな生き方を教えてくれる。島に生きる私たちが何を失い、
何を取り戻すべきかを教えてくれるのだ。それは自然界と調和する生活や、
海の旅人たる誇り。今の子供たちにも島に生きる誇りを教えてくれる。
さらに航海カヌー建造術や、風を理解し捕らえる技術、星当てによる航法も
伝えたいと思った。長い航海で必要となる基礎的な技術は、
日本の自然環境への理解を深めるはずだ。さらに、太古の日本人が感じていた
自然との精神的なつながりを取り戻してくれるはずだ。
こうして、日本人の祖先が築き上げた航海の歴史は継承される。
私はこの計画を、日本の教育制度に取り入れてもらえないかと思っている。」

ハワイにおいて、古代式カヌーには命が宿ります。
それは、完成する前に名前をつけて儀式に従い建造されるからです。
タイガーのカヌーも、伝統に従い、まずは名前がつけられました。
それが、「カマ・ク・ラ号」。

“カマ・ク・ラ号”( Kama-ku-la とは、ハワイ語で“Child of the rising sun”。 )
「カマ」は子供、「ク」は昇ること、「ラ」は太陽を意味する言葉。
それで、「太陽の出ずる子」という意味です。

しかし、残念ながら、タイガーは、3年前にご病気で亡くなりました。
(うーと親友のすけで、その夏は葉山でもセレモニーをさせていただきました。)
そして、タイガーの意志だった「カマ・ク・ラ号」は、まだ完成していません。

「日本で初めて航海カヌーを建造するからには、日本の人々との絆作りから
始めなければならない。しかもその絆は、精神的な次元で結ばれなくてはならない。」
というタイガーの強い意志のもと、現在、タイガーさんの弟のルイさんが引き継ぎ、
生前、タイガーが住んでいた鎌倉を拠点として、当時の日本の仲間達とともに
団体を結成し、カマ・ク・ラ号建造のため、頑張っています。

その活動の一環で私も参加していたのが、カマクラ・ハカです。
カマクラ号のHAKAを踊ることによって、カマクラ号の完成を祈ろうというもの。
ホクレア号のクルー達も、ホクレアのHAKAを踊っていましたよね。
ホクレア・ハカを作ったのと同じ、ケリータウアさんが作ってくれたHAKAです。

この度、沖縄に引っ越して来た為、もうカマクラ・ハカに参加できないと嘆いましたが、
こっちでもやればいいんだと、最近は前向きに考えています。

まずは、タイガーのこと、カヌーのことを皆さんに知ってもらいたいので、
良かったら、こちらも、、。→ カマクラ号HP:http://www.kama-ku-ra.net/

偉大な、タイガー・エスペリに敬意を表して、、。

Mahalo Nui Loa.

2008年2月22日金曜日

Le Petit Kirikou

「キリクと魔女」という映画をご存知だろうか??
ディズニーでアニメーションになっているのだが、
アフリカを舞台にした、小さい男の子キリクの活躍劇である。

先日、久しぶりにこの映画を見て、思った。
うーん、こんな子が良いなあ、、。

この、お腹の中の暴れん坊くん。
キリクみたいに勇敢で、好奇心旺盛で、
元気で、賢くて、やんちゃで、そして
優しい子になってくれますように、、。

そして、あの賢く美しいお母さん。
うーん、、憧れます。

Le Petit Kirikou
http://jp.youtube.com/watch?v=a2RRGpGCsB4&feature=PlayList&p=AB8288985ACB0DBB&index=0&playnext=1

大地のこもりうた

満月が微笑んだ 風が泣いていた
星達は ただ そこに居た
無力な 小さな 体を見下ろしていた

聞こえてくる 波の音
呼んでいる くじらの声
うずをまいて 歌っている
それは 大地の こもりうた

緑色がゆれている 月明かりにゆれている
虫達は ただ 鳴くだけで
耳に残るのは たましいの叫びだけ

呼びさませ この声を
見たこともない この島で
うたいつづければ このままで
これは 大地に ささげる歌

聞こえてくる 波の音
呼んでいる くじらの声
うずをまいて 歌っている
それは 大地の こもりうた

2004.11.27

2008年2月20日水曜日

休息

人間誰でも、やはり休息は必要だ。
私なんか、本当にそんな時がしょっちゅう。
周りの友人達にもよく怒られるほど、
休まなすぎてぶっ倒れることもしばしばだ。

妊婦なのだから、無理はしちゃいけない、、
と、思いつつも、やはり相変わらず
今でも、休みなしで動き回っている。

しかし、お腹が張ったり痛んだりすれば
やっぱりどきっとする。
いつもに増して体が弱りやすいのも、
なかなか面倒なものね、妊婦って。
でも、その分、お腹の赤ちゃんに
エネルギーがいっているんだと思うと
まあ、しょうがない、と笑顔にもなる。

そんななか、めずらしく会社を休んでしまった。
出産後の何ヶ月かのことを考えれば、
今は少しでも多く働いて、お金を貯めて
おきたいというのが本音だけれど、
長引く風邪と、お腹の張りが気になって
ついに一日お休みしてしまったのだ。
ああ、無念、、。

せめて後一ヶ月、コールセンターの仕事が
終わるまではがんばりたいものだ。
お腹の赤ちゃんは、そんな今日も
元気に暴れている。

2008年2月18日月曜日

赤い太陽

たまらなくなって 涙を流した
赤い太陽は もえあがり
まぶしい光と共に 消えていった

星は輝き 月が笑う
私は泣いて 肩をふるわせ
見つめた青空は遠く かなたへ
もう どこにも 行けない
私は 今 ここにいる

悲しくなって 瞳を閉じた
目の前の世界は 美しすぎて
ちっぽけなカラダは 風に吹かれて
また 空をあおぐ

空は桃色に染まり 海に移り
私はこごえて 涙を流して
見つめた太陽は遠く かなたへ
もう どこにも 行けない
私は ここで 生きている

2004.11.19

2008年2月16日土曜日

ホエールウォッチング


この季節、沖縄にはザトウクジラが来る。
私は、生き物に対して「見に行く」と言うのはどうも苦手で
「会いに行く」が適切だろう、といつも思うのだが、
やはりホエールウォッチングに行く人々は「見に」行っているようだ。

久々の休みだった今日、沖縄の海で子供を産み育てていると言う
彼らに会いたくて、私もホエールウォッチングとやらに出かけてみた。
寝坊して行きそびれたらやだな、と思っていたら、
朝5時過ぎに目が覚めてしまい、ものすごい寝不足で出発することに、、。

ブインブインいいながら波を打ち、爽快に走るクルーザー。
久々にお目見えの(最近はずっと曇り空続きだった)照りつける太陽。

よく、妊婦はジェットコースターみたいな乗り物には
乗ってはいけないと言うけれど、こんなにスピード出してたら
クルーザーもNGなんじゃないか、などと、心配したてみたり、
果たして妊婦は酔い止めの薬を服用しても良いのだろうか??などと
心配してみたりしつつも、結局は、心地良い揺れと日光とに身をゆだね、
ハワイで、モロカイとマウイを行き来していた小型船を思い出しては
なんだかちょっと懐かしくなった。

野生動物なんだし、宣伝みたいにうまく遭遇できるわけないだろうから
まあのんびり海を楽しむかあ、、と、高をくくっていたものの
果たして、彼らはちゃんとそこに居た。
船長さん曰く、昨日もここに居た同じ二頭だと言う。
そう、彼らは私の会いたかった親子クジラだった。

まだ息の続かない子供が一緒だと、潜水時間は大して長くならないので
それこそ5分や10分に一度は顔を出し、ブロウやスラップをする。
時々、パートナーなのか、もう一頭現れたりもした。
あらあら本当に大きいわ、とか、寄り添って泳ぐ姿がかわいいわ、とか
のんびり船に揺られていた私なのだが、
どうやら周りの観光客軍団は、そうもいかないらしい。

見逃すものかと、船の右側に出れば、ぞろぞろと右に移動し、
左側に出れば、またぞろぞろと左に移動し、
「もっとこっち来ないかしら??」「すぐ潜っちゃうね。」
「こっち来い、こっち来い。」などと大声で勝手なことを言うのだから、
聞いてるこっちは堪らない。
自分の事を棚に上げて、「いやいや、そっとしてやれよ。」と
言いたくなるのをぐっと堪え、周りを見渡す。
すると、これが本当に異様な光景なのだ。

目にも眩しいオレンジのライフジャケットを身に付け、
みんなして同じ方向に身を乗り出している光景も然り。
何艘もの船が、必死にクジラを追ってゆく光景も然り。
(いつか見た、昔の捕鯨の様子をシュミレーションしている気分だ。)
私も含め、本当にみんな、ただただクジラを「見に」来ているのだ。
クジラ達は、ただそこで生活しているだけなのに、と思うと
なんとも言えず変な気分になった。

やっぱり、うーはクジラを「見に」行きたかったんじゃなくて
「会いに」行きたかったんだ、と改めて思い知った。
そして、いつもながら思うことだけど、クジラは何があっても
ただただ、この海で彼らの生活をしているだけであって、
そんなあたり前の事をしているだけの彼らが、やはり素敵に思えた。

うーのクジラに対する想いは、まあいろいろとある訳なんだけど、
とにかく、今日は彼らの泳ぐ姿を見れて、やっぱり良かったと思う。
母と子が寄り添って泳ぐ姿は、妊婦のうーには結構しみた。
それはそうと、、

今度は、ちゃんと敬意を持って、 彼らの住まい(海)に
「会いに」行きたいものです。

年の始まりに

時は流れて いつかまたこの生活に慣れて
そうやって生きていけるんだという事は
どんなに悲しい時にでも頭にあって、
そして本当にそうなってゆく

うろこ雲が北へのびてゆく
飛行機が大きな音をたてて飛んでゆく
私はゆっくり眠気におそわれて
雨上がりの土のにおいを思い出す

テーブルには くじら
ベランダには がじゅまる
バスケットには バナナ
そんなゆっくりした生活

またきっと 誰かを愛しく想ったり
泣いたり 笑ったり 愛し合ったりするんだろう
この一人の生活も 失ったり 戻ってきたりするんだろう
そんな事を思って また少しさびしくなる

つねに流れてゆく 時間と空気が
今の私を生かしてくれている
そのことに感謝しようと思った

2008.01.09

2008年2月14日木曜日

エコバッグのロゴ

うーがいつも使ってるエコバッグがある。
自慢じゃないが、買ったものではない。
雑誌の付録で付いてきたものだ。
なので大きくはないし、ショッピングバッグとして使ってはいないけど
なぜか、いつも愛用している。
そのバッグの片隅に入っているロゴは、「WAVEMENT」。

去年くらいから本格的にあちこちで取り上げられている
青森県の六ヶ所村にある、核燃料再処理工場。
その工場が本格稼動すれば、放射能が空や海に流れてしまうから、と
海や自然を愛するサーファーなどが活動している。
うーの友人たちも参加しているし、うーもチャンスを逃して
なかなか参加できずにいたけど、心から応援している。

去年、うーは六ヶ所村を訪ねたことがある。
それまで、声を上げて反対を叫び、署名活動などにも力を入れていたものの
いざ、六ヶ所に行ったら、それが出来なくなってしまった。
無知な自分が情けなく、恥ずかしいと思った。
反対してても、こうして毎日電気を使い、そして実際問題、
日本の現状では、やはり原発なくては電気のある生活は出来ない。
長閑でまだまだ自然の残る六ヶ所村と、そこで暮らす人々に
本当に申し訳なく思ったのだ。

もちろん、放射能が流れて、自然や生き物が死んでいくのは嫌だ。
でも、何十年かけて、人間がやってきたことがそれなのだから
人間である以上、自分たちの過ちや、どうにもならないほど膨張した
いろいろな問題を、ずっと見つめていかなくてはならない。
こうなってしまった事より、ただただ、自分たちのせいで
地球が壊れていくのを見つめていかなくてはならないことの方が、
それを止めることのほうが難しいと分かることのほうが、
きっとずっと辛いだろう。

そうしている間にも、地球も生き物もどんどんおかしくなっていって
また、すべてがゼロになる日も近いかもしれない。
そして、地球にとっては、そのほうが良いのかもしれない。
そんな風に今日も、富士山の噴火はもうすぐかな、、などと思うのだ。

参考までに、、
WAVEMENT 六ヶ所村
http://jp.youtube.com/watch?v=-CQTtf1ntUc
六ヶ所村ラプソディー 予告編
http://jp.youtube.com/watch?v=fb9K_gutJfU&NR=1
海や空を放射能汚染から守る。署名提出
http://jp.youtube.com/watch?v=nKEmzxGXlr4

なんとなしに使っていたエコバッグに、そんな意味があったとはねえ、、。
と、思ってくれた方、MAHALO。☆

2008年2月12日火曜日

沖縄HULA

実を言うと、私がHULAをはじめたのは沖縄だった。
以前、約二年間、沖縄に住んでいたときに、偶然見つけたサークルで
なんとなく始めたのがきっかけだった。

HULAに興味を持ったのは高校生の時くらい。
でも当時、演劇や歌をしていたうーは、なかなかきっかけを掴めずに
そのまま高校を卒業し、結局始めたのはその2、3年後になってしまった。

沖縄でHULAを始めた当時は琉球舞踊もやっていたけど、
最終的に、やっぱりこれだと思ったのはHULA。
初めて踊った時から、なぜかすっと入ってゆけて、
とにかく踊っているのが楽しくてしょうがなかった。
それは今でも変わらない。

今度のことがあって、切羽詰っていたうーは、子供を産むことを選び、
こんなにも大好きなHULAをも捨てる覚悟で、家を出たわけなんだけど
、、、、甘かった。
そんなに簡単に捨てることがもう出来なかったのだ。

つわりも治まって、安定期に入るころ、とてつもなく踊りたくなった。
先生に”HULAやめます”宣言して、髪まで切ったのに、本当情けない、、。
しかたないので、沖縄のHULA仲間に連絡を取って、
懐かしのHULAホームタウンで、またレッスンに参加させてもらうことにした。

うーが始めたばかりのころは野外(公園や駐車場)で練習していて、
夜空の下、風に吹かれつつ裸足で踊っていたものだが、
今はちゃんと部屋を借りて、室内でのレッスンなので、冬でも暖か。
妊婦の時は、こんなのが嬉しい。

なんと言うか、また踊れてとにかく嬉しい。
妊婦なのを良い事に、きつくなると体を休め、代わりに
みんなのフォームを直すべく、口がよく動くようになる。
いい身分なものだ。(みんな、ごめんね。)
妊婦が終わったら、自分こそ体鍛えなおさなきゃ、
きっと、かなりなまってしまっているだろうに、、。
その時は逆に、みんなに直されるのだろう。
そんな日も、また待ち遠しい。
とにかく、このまま永遠に踊っていたい。
そう思う。

ガムラン

首里城の目の前に、沖縄県立芸術大学と言うところがある。
音楽、美術、沖縄芸能の宝庫で、
親友’なべ’の美しい琉球舞踊と出会った思い出の場所でもある。
陶芸科の窯に行くと、捨てられた失敗作などがあり
うーも以前はそこで掘り出し物を探しに出かけたりした。

そこに、ガムランを演奏しているサークルがある。
バリガムランとジャワガムランの両方と、踊りもしている。
前から気になってたうーは、メンバーであり友人の’すーさん’に連れられて
今夜、仕事上がりに一緒について行く事にした。

彼らの演奏を初めて聴いたのは、もう何年も前の芸大祭の時で、
初めて生で聴いたときは、やっぱり感動した。
今回は、なんとなく胎教に良いかもな、とか、そんな軽い気持ちで
見に行くことにしたわけだけど、ぼけぼけしていたら
気づいたらゴングの間に座らせられている自分がいた。

ゴングは一番大きい銅鑼で、つまりはベース音で、音も大きいし、
でもうーは、バリガムランとジャワガムランの違いもよく分からないし、
とりあえず何がなんだか分かってないけど本当に良いのか??
と、大きな銅鑼に挟まれて座ってるうーに、
「8拍ずつゴーンって鳴らすだけだから、大丈夫!!」
って言われてもねえ、、自信ないなあ。

で、言われるがままに緊張しつつ叩いていたけど、これが結構おもしろい。
最初はグワーン!!グワーン!!って大きく鳴り響く音に、
赤ちゃん、びっくりしちゃうよ!!って思ったけど、
だんだん慣れてくると楽しくなってきて、
赤ちゃんも楽しんでいるのか、お腹の中でよく動いていた。
仕舞いには「流れを読むの上手いね。」とか、「リズム感良いね。」
なんて誉められて、こっそり浮かれてしまった。
(自慢じゃないけど、自分がリズム感良いなんて思ったことは一度もない。)

いやー、なんだか本当に胎教に良さそうだ。
とりあえず楽しいし、音も心地良いし、いつか踊りのほうもやってみたい。
何はともあれ、連れて行ってくれたすーさん、ゴングを叩かせて下さった皆さん、
帰り道でもないのに車に乗せていってくれたメンバーの子にも、
つまりはガムランサークルのみなさんに、感謝です。☆
また、仲間に入れて下さいね。

2008年2月9日土曜日

妊婦の旧正月

明けましておめでとうございます。
一昨日は旧正月でしたね。
沖縄南部では、旧正月が盛り上がるそうです。
そして今、沖縄は桜が満開です。
内地は雪だそうで、、。
どちらかと言うと、うーは雪が恋しいです。

ここに来てつくづく良かったと思えるのは、やはり
沖縄の人の、子供を産むと言う事に対する考え方でしょう。
私が一人でも絶対産む!!!!と言うと、
内地では、「無理だ。」「甘い。」「よく考えろ。」となるところを
沖縄では、「産みなさい、産みなさい。」となる。
ここでは女性が若い女の子に、よく
「結婚できなくても、子供は産みなさいよ。」と言っていたりする。
「子供を産むのは女の特権なんだから、経験しときなさい。」って事らしい。
そして、そう言う女性のほとんどは旦那なんかどうでもいいって感じだ。
沖縄の女は強い。

もちろんそれだけだはなく、ここでは今でも人と人とがとても近い。
他人だろうがなんだろうが、みんな世話を焼いてくれる。
ここでは子供は親が育てると言うよりも、みんなで育てると言う感じ。
「妊婦の一人暮らしなんです。」と言うと、
「楽しみねー。」の後に「生まれたら世話してあげるから。」と、
買って出てくれる人ばかり。
子供好きの人が多く、みんなこの子が生まれてくるのが待ち遠しいと言う。
その証拠に、沖縄はいつだってベビーブームだし、
たいていの職場では、働くお母さんに理解を示してくれる。
だから、妊娠7ヶ月のうーにも毎日、職がある。
有難いことだ、、。

そんなこんなで、みなさまに支えられ(感謝!!)
うーの沖縄妊婦生活も、もう4ヶ月目。
相変わらず、マイペースにがんばっています。
そして、赤ちゃんは今日もお腹の中で大暴れしています。

今年もどうぞ、よろしくぱんち。☆
うーにとって、この子にとって、そしてみんなにとって
今年も一年、良い年でありますように、、。