実を言うと、私がHULAをはじめたのは沖縄だった。
以前、約二年間、沖縄に住んでいたときに、偶然見つけたサークルで
なんとなく始めたのがきっかけだった。
HULAに興味を持ったのは高校生の時くらい。
でも当時、演劇や歌をしていたうーは、なかなかきっかけを掴めずに
そのまま高校を卒業し、結局始めたのはその2、3年後になってしまった。
沖縄でHULAを始めた当時は琉球舞踊もやっていたけど、
最終的に、やっぱりこれだと思ったのはHULA。
初めて踊った時から、なぜかすっと入ってゆけて、
とにかく踊っているのが楽しくてしょうがなかった。
それは今でも変わらない。
今度のことがあって、切羽詰っていたうーは、子供を産むことを選び、
こんなにも大好きなHULAをも捨てる覚悟で、家を出たわけなんだけど
、、、、甘かった。
そんなに簡単に捨てることがもう出来なかったのだ。
つわりも治まって、安定期に入るころ、とてつもなく踊りたくなった。
先生に”HULAやめます”宣言して、髪まで切ったのに、本当情けない、、。
しかたないので、沖縄のHULA仲間に連絡を取って、
懐かしのHULAホームタウンで、またレッスンに参加させてもらうことにした。
うーが始めたばかりのころは野外(公園や駐車場)で練習していて、
夜空の下、風に吹かれつつ裸足で踊っていたものだが、
今はちゃんと部屋を借りて、室内でのレッスンなので、冬でも暖か。
妊婦の時は、こんなのが嬉しい。
なんと言うか、また踊れてとにかく嬉しい。
妊婦なのを良い事に、きつくなると体を休め、代わりに
みんなのフォームを直すべく、口がよく動くようになる。
いい身分なものだ。(みんな、ごめんね。)
妊婦が終わったら、自分こそ体鍛えなおさなきゃ、
きっと、かなりなまってしまっているだろうに、、。
その時は逆に、みんなに直されるのだろう。
そんな日も、また待ち遠しい。
とにかく、このまま永遠に踊っていたい。
そう思う。
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