2008年5月20日火曜日

陣痛が来た日。

妊婦生活最後のイベント「自然体」も終わり、
翌日は、那覇ハーリー最終日の、5/5、子供の日。
朝から緩やかな波のある腹痛が続く。
昨日の疲れもあるし、ちょっとお腹下し気味だったのもあり
ただの腹痛と高をくくって午前を過ごす。

しかし、妙だ、、やけに治らない。やけに波が早い。
もしや、、??と思い、病院に連絡。
「もしかしたら陣痛の始まりかもしれませんから、
あまりひどいようなら来て下さい。」との事。
慌てて職場に連絡を入れて、お休みにしてもらい、
痛みを我慢して、慌てて部屋を片付けはじめる。

まだお印もないのにぃー!!と、半信半疑ながら、
やはり心配で友人や母親に電話して聞きまくると、 母いわく
「そんなの私もなかったわよ。 陣痛だって何分置きとか、
本に書いてあるのなんか全然あてにならないんだから。」え??
「じゃ、破水とかも??」 「そんなの産む瞬間までなかったわよー。」
、、。(汗)

し、知らなかった。うー、危うく惑わされるとこだった。
しかも、母も私同様、長女出産の時は、陣痛が始まった時、
たまたまその日、生まれて初めて食べたキムチが合わなくて
お腹が痛くなったもんだと勘違いしていたらしい。
この親子って一体、、。

結局、職場のオーナーが心配して迎えに来てくれて、
とりあえず一度病院へ。
しかし、陣痛は6分置きだけど、痛みも浅いし、 子宮の入口も柔らかいけど
まだ開いてないから、、 と、家に戻される。

しょうがないので、まだ間に合う!!と思い、
痛みを堪えて再び部屋を片付け、運べる物を運び出し、
急遽オーナー宅へお引越し。
元々、来週引越す予定だったので、やり残しがたくさん!!
きゃー!!どーしよー!!とか言いながら、陣痛の時間を計る。
これが良いペースで常に6分間隔をキープ。
縮まりもしなければ、開きもしない。
とりあえず、パワーつけなきゃ!!と、 オーナーに定食をご馳走してもらい
もう一度赤ちゃんグッズの確認などをしてスタンバイOK。

痛みが4分間隔になってきた頃、どうしても心配で、また再び病院へ。
先生に「まだまだー。」と言われつつも、
一人もんの妊婦と言う事もあり、そのまま入院。
痛みの間隔が早過ぎて、これじゃ寝れないでしょ??と、
痛み止めの筋肉注射を打ってもらうことになるのだが、これが誤算。
注射が合わず、目眩と嘔吐の嵐がやってきて、
余計寝れなくなったうえに、急激に体力消耗。
だんだん、何が痛いのかさえ分からなくなってきて、ぐったり。
そして、それを境に、陣痛の間隔もばらつき始め、
翌日の昼間はずっと、来たり来なかったり、
大波だったり小波だったりの、ぐだぐだ陣痛。

しかし、やはりそれは確実に近付いて来ていて、だんだん痛みは増してくる。
相変わらず吐き気も止まらず、ご飯も食べれずで、
よけい体力もなくなってきた夕方頃。
声、出しても出さなくても、結局同じ痛みなら、もう出してしまえ!!
と、騒ぎ始める。(笑)
まるで外国の映画の如く、痛みに耐えるべく(??)叫びまくる。
病院中に響き渡っただろうなあ、、。 きっとうるさかったであろう。
病院のみなさん、本当ごめんなさい。

さて、本格的な陣痛の痛み。
これを一言で言えと言われたら、私は間違いなくこう答える。
「いっそのこと殺してくれ!!」
普段、どんな痛みであろうと、「死にたい!!」とまでは思わないのだが、
もはや「死にたい!!」を通り越し、「殺してくれ!!」と言うのが
正しいように思う、そんな痛み。
いつか終わるとわかっていても、赤ちゃんのため、とわかっていても、
そんな理性はまったく役に立たず。
「明けない夜はない。」などの名言も、やはりまったくの無意味。
とにかく、出産時には側にピストルを置いてはいけない、とだけ言える。

陣痛、それは地球最強の拷問だ。
「生命の神秘」なんて綺麗ごとは、私は口が裂けても言えないだろう。
女は偉い!!と、信じ続けて妊婦してきたけど、
思わず撤回したくなった瞬間でした。

つづく、、

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